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Shine Blog

ブログと趣味と音楽と。

花火ノオト

花火

 

―5年前の夏、草木湖まつり

 

『お前さんが石屋の仕事手伝ってた時は、親父さん嬉しそうに話してたんだぞ』

 

群馬県を流れる渡良瀬川の上流、古くは神戸ダムと呼ばれた草木ダム近くの東運動公園野球場で行われるその祭りは、その地から離れた人に年に一度は故郷で過ごして欲しいという願いから、毎年8月15日に開催されているお祭りだ。

 

僕の祖父はダイナマイトを使って山から石を掘り出し、その石を墓石などに加工する「石屋」だった。そんな環境で育った父は幼少期から石を削って遊んでいたそうで、なるべくして石屋になったような人だ。

 

僕がこの地で過ごしていたのは3才くらいの頃だからうろ覚えではあるんだけど、父に背負われて石の採掘場に連れて行かれた記憶がある。幼いながらもその場所が好きだったらしく、ワクワクしたような気持ちだったことだけは覚えている。

 

20歳頃からサービス業を長く勤め、そこから転職して派遣業界で営業職をしていた僕は、久しぶりのお盆休みに十数年振りに草木湖まつりに訪れていた。

 

『たーちゃん、ウチこんな凄い花火初めて見たわ!』

 

ああ、すごいでしょ。子供の頃からここの花火見てるから、他の花火大会行っても面白くないんだよ。彼女とそんな会話をしていても、遠い親戚筋のおじさんに聞いたセリフに心が捕らわれたままだった。

 

当時付き合っていた彼女と父と3人で訪れた故郷の夏祭り。ただでさえ懐かしさと不思議な感覚でお伽話の中にいるような気分だった僕は、父の仕事を手伝っていた17才の夏を思い出していた。

 

子供の頃から石屋になるのが夢だった。勉強を褒めてくれた母と暮らしていた小学生の頃は、いっぱい勉強していい大学に行くなんてことも言っていたが、それは学歴の延長線上で職業を考えていなかったからだ。

 

『俺の仕事手伝え』

 

人生のなかで一番親父と会話をした17才の一年間。高校を中退して頑張れるものが欲しかった僕には、親父に言われたその一言が何よりも嬉しかった。グレていたから素直にはなれず親父の方を見もせずに『ああ、いいよ』と斜に構えて答えたけど。

 

夢だった職業に就いた僕はそこで初めて父のことを知った。

 

仕事仲間と一緒だとよく笑う父。

酒を一滴も飲まない父の夜の繁華街での逸話。

一流の職人として多くの職人や職長に尊敬されている父。

 

そんな父の顔に泥を塗るわけにはいかなかったから、誰よりも一所懸命に働いた。半年後には厳しかった兄弟子に認めてもらえるほどに働いた。でもその頃から身体に異変が起きていた。

 

バイクの事故で大怪我をして、折れた足のリハビリもしないままに力仕事を始めたために、右足をかばい続けた左の腰がヘルニアになり左足が痺れ始めていた。それから3ヶ月後には左足のくるぶしから下が完全に麻痺してしまった。

 

それから3ヶ月間はテーピングでガチガチにして足首を固定して仕事をした。でも結局は自分の身体に起きている異変が怖くなって、石屋を辞めてしまった。

 

バンドでメジャーデビューしたい。

会社員として偉くなりたい。

歌手になりたい。

結婚したい。

 

その後に描いた夢と呼んだもの。それは本当の夢じゃなかった。

それはたぶん、一時だけ夢中になったものだ。

 

『僕の夢は石屋で職長になることです』

 

小学校の卒業アルバムにそう書いた夢が僕の夢だ。

僕が本当に憧れたのは親父だけだった。

 

ドーン

 

山に挟まれた草木湖まつりの花火は、体の芯にまで響く重低音で胸を打つ。

僕は花火を眺める父の背中をぼんやりと見ていた。

 

ドンドンドーン

 

山彦となったその音が、繰り返し心を揺さぶる。

ごめんな、親父…

 

 

故郷のたった1,000発の花火大会が僕にとって日本一の花火だ。あの夏の砲音が今も胸に残って、大切な何かを僕に訴えている。

 

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