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大企業のサラリーマンになって味わったギャップと挫折

挫折した男

 

『周りの人間が何を考えているかまったく分からなかった。』

 

これは大手アパレル企業で営業職に就いた頃の話。

 

当時27才だった私は、サラリーマンというものをまったく分かっておらず、多くの挫折を経験しました。

 

私は受験勉強も就職活動もまともにしたことがない、高校中退のいわゆる元ヤンキー。

 

「年商1,000億円を超える大手企業で高校中退者初の本社勤務営業になった話」

 

とでも書けば、ちょっとしたサクセスストーリーのようですが、結局私は退職することになります。

 

ちなみに企業名は伏せますが、つい最近ファンドに買収された企業です。

 

 

世間知らずとは口うるさい親がいなかった私のこと

 

自分ではあまり気にしていませんが、人に話すと『苦労してるね』と言われるくらいの、少しだけ複雑な家庭環境で思春期を過ごしました。

 

 

 アパレル業に従事するまでの略歴を時系列で少しだけ。

 

【16才】バイク事故で高校を半年で中退し、足を骨折して1ヶ月の入院生活。

 

【17才】退院後リハビリもせずに父の石工職人の仕事を手伝い、半年で椎間板ヘルニアになり左足が麻痺し約1年で退職。

 

【18才】しばらく療養した後、親戚の酒屋で配送助手のアルバイトを約2年。

 

【20才】大型パチンコ店でアルバイトを約3年。

 

【23才】ショッピングモールのグランドオープンで、新規出店のメンズアパレルショップにアルバイトとして販売職に。

 

このような経歴なので、就職活動をしたことがありません。

 

ちなみに高校は公立を受けるのを止め、私立に入学しました。理由は友達が多く進学したから。

 

当時の私は公立と私立の違いさえ知らなかったのです。

 

 

親父のような職人になるのが夢だった

 

私が勉強をしなくなった理由は2つ。

 

ひとつは職人になるのが夢だったこと。

もうひとつは勉強を褒めてくれた母と離れてしまったこと。

 

高校へはバスケをやるためだけに通っていました。

ですが、夏休みを境に友達と無茶をするようになり、高校を中退します。

 

その後は先のとおり。17才で夢に敗れることになります。

 

 

時給800円ショップ店長

 

職人になることを諦めた私は、パチンコ屋でアルバイトを続ける内にようやく将来に不安を覚え始めます。

 

そのタイミングで勤め先の近隣にショッピングモールがオープンすることになり、23才で販売職に就きました。

 

販売職の経験はゼロでしたが、担当営業に研修中の頑張りを認められ、いきなり店長職を任されることになります。

 

50坪のショップに6名の従業員。アパレル経験者が3名いる中での未経験店長でしたので、私自身も大変でしたがスタッフもかなり大変だったと思います。

 

経験者の3名は時給900円だったので、それよりも安い給料の店長です。

 

今考えるとあり得ない話ですが、責任のある仕事がしてみたかった私にはとっては、とても幸運な出来事でした。

 

 

何度も失敗し好き放題やった1年間

 

オープン期間が終わり通常営業になると、地方店舗だったこともあり担当営業も3ヶ月に一度程度しか巡店に来なくなります。

 

新規立ち上げのブランドだったこともあり、決まった店舗レイアウトの指示などもなく売上も思うように上がりません。

 

迷走した私が1年間で変更した什器レイアウトは100パターン以上。スタッフには相当文句言われました。

 

右も左もわからず、販売関連の本を読み漁り、実際に他のショップに出向いてはレイアウトや接客を盗み、普通のショップになるまで1年掛かりました。

 

この時に100回以上失敗できる機会を与えられたことが、その後のサラリーマン人生の石杖になったと思っています。

 

 

A.アパレル S.サクセス S.ストーリー

 

ここからの2年間はちょっとしたサクセスストーリーです。

 

1年間の迷走の甲斐あって、スタッフとともに成長し、店舗の売上も安定させらるようになってからは、他店舗に展開例や成功事例を発信するほどになります。

 

今回は挫折話がメインなのであまり深掘りしませんが、3年目で契約社員に登用され給料もあがり、池袋のメイン店舗に店長兼任の東日本エリアマネージャーとして就任。26才にして上京しました。

 

そこで実績を残し、ついに高校中退者で初となる本社勤務の営業職に就くこととなります。

 

 

初めてのサラリーマンは別世界

 

スーツを着用するような仕事に就いたのはこれが初めてでした。

 

それまで現場側のエリアマネージャーとして1年間ほど毎月本社には出向いていましたが、会社勤めがメインになる営業になった途端、別世界を経験することになります。

 

  • 朝8時の出社
  • 毎週ある営業会議の資料作り
  • 社内稟議のやり方
  • 出張申請のやり方
  • 事前のスケジュール入力

 

店長1年目も分からないことだらけでしたが、ある程度実績を積み、仕事にプライドを持ってしまった後の営業職だったので、恥ずかしい思いをたくさんしました。

 

後から知りましたが、給与査定も内勤者のテーブルに乗り、給料も下がりました。

 

一番辛かったのは、各店舗の店長とスタッフをまとめる立場から、内勤側の下っ端扱いに変わってしまったことでした。

 

担当部長の考えで、年下で自分よりも社歴の短い営業職を先輩として接さなくてはならず、プライドを捨てきれない私は良好な関係も作れません。

 

会議でも販売手法や売上を上げる策はあるのに、数字と照らし合わせながら論理的に発言することが出来ません。

 

現場のアルバイトから成り上がった私は、現場寄りな考え方しか出来なかったのです。

 

社内のシステムを誰に聞いていいのかも分からず、はじめは現場に巡店すれば元気だった私でしたが、今思えばどんどん鬱気味になっていきました。

 

 

【驚愕】月曜は朝6時に出社

 

社内のことで一番上手くこなせなかったのが、月曜午前中にある営業会議の資料作りでした。

 

転職後の別業界でも経験しましたが、月曜に営業会議をする会社は多いです。

 

週初めに戦略の具体性を決めることはマストという考え方は普通かもしれませんが、小売業では遅いところで夜の10時まで営業しています。

 

現場から数字が集まるのが深夜12時前です。今思えばそう難しい資料作りではありませんが、当時不慣れだった私はそれを深夜3時くらいまで自宅でまとめ、朝の6時に出社して資料作りをしていました。

 

資料作りの落とし所が見つけらず、日曜も現場に居ないとアイデアも浮かばず、その内に大事な月曜に遅刻をやらかします。

 

 

事業部長:『遅刻するくらいなら休め。』

 

当時の営業時代に言われた言葉で心に残っているものがいくつかあります。そのひとつが事業部長から言われたこの言葉でした。

 

『寝坊などというみっともない理由を言うくらいなら体調不良と嘘をついて休むのが普通だ。』と暗に言われ、衝撃を受けたのを今でも覚えています。

 

『これが内勤サラリーマンの世界か…』そんな心境でした。

 

ですが、現場の店舗は少ない時には3人のスタッフで回し、店長である自分を月3休前後にすることで何とかスタッフに休みを与えていたような環境を現場に強いていた会社です。

 

その会社の事業部責任者がこんなことを言うのかと思ったのです。

 

まあ悪いのは遅刻をした私であって、それについての解釈を教えてくれた方だったので、その事業部長自体は良い人でした。

 

 

執行役員:『現場の人間などいくらでも代えがきくだろう。』

 

これを聞いたのは、上司の営業部長と喫煙所で同席していた時に、かなりのお偉いさんが部長に話した言葉でした。

 

ただただ憤りを覚え、『何だこいつは?』という顔をしていたであろう私の顔を、隠すように部長が立ち位置を変えたのでした。

 

SPA(製造小売業)で製造、企画、販売と、現場まで自社であることが、この企業の強みだと思っていた私は深く失望したのでした。

 

 

社長:『なぜ現場のアルバイトは辞めてしまうの?』

 

これは当時の社長が自主的に行っていた。営業を集めた食事会での社長からの質問でした。

 

気の短い私は、この言葉にプッツンして社長に食って掛かり30分ほど持論をぶつけたことを覚えています。

 

  • 首都圏と郊外店舗の坪効率が同様に考えられていることが問題
  • 販売員1人あたりの売上目標が均一であることも問題
  • それ以外の給与査定基準が存在しないことも問題
  • 売上目標を店舗ごとに定める指針を作るべきだ
  • それ以外のスキル評価を用いた給与査定システムの必要性
  • SPAでありながら現場の声が届かない社内風土
  • これらを改善しないのは顧客に対して不誠実さの証だ

 

などなど。

 

現場で3年間身を粉にして働き、現場の頑張りや会社への期待と諦めのなかで葛藤するスタッフや店長を見てきて、すでに会社の内情に幻滅していた私は、周りがひく程まくし立てていたようです。

 

そもそも社長の言い方がどこか人事のように聞こえたのが引き金でしたが。

 

甘い理想を持った世間知らずの現場主義者。それでいて会社勤めがまともにこなせなかった私は必然的に退職を選択することになります。

 

 

営業部長:『お前なにやっとんねん!』

 

最後に辞める決意が固まったのが、直属の上司である営業部長に言われたこの言葉でした。

 

この言葉だけ見れば、よくあるワンシーンですが、このセリフを言われたのは正月明け初日の出来事で事情があります。

 

年の暮れに担当店舗である札幌店の店長が、クリスマス後に突発的に退職しました。その責任は当然担当営業である自分にあります。

 

ですが、その店長は私よりも職歴が長く、以前から持っていた会社への不信感に加えて、突発的に店舗に現れて、現場を引っ掻き回すのが好きな営業部長の行動と発言が引き金となって起こった事態でした。

 

この営業部長は「部下潰し」で有名だったらしく、上司に『もう人を辞めさせるなよ?』などと喫煙所でよくからかわれていました。

 

そんなこともあり、現場へは同行して出向いて欲しい旨の要望はしていたのですが、本人には悪気も自覚も無かったようで、兼ねてからフォローを続けていた店長にトドメを刺されてしまったのです。

 

 

その出来事の内容は以下のとおりです。

 

札幌の店舗は3名体制の店舗でインモール型です。当然平日の午前中はスタッフ1名でオープンします。

 

午前中には納品があることが多く、その日も納品された衣服を1人で出勤していたスタッフがバックヤードに運んでいました。

 

そこへ何の前触れもなく営業部長が現れ、店頭に誰もいないことに怒り、こともあろうかそのスタッフ本人にその場で説教をします。

 

交代制のシフトで午後から出勤した店長がそのスタッフから事情を聞き、担当営業の私に電話をしてきました。部長はもういません。

 

『なんなんですかあの部長は?少ない人員で頑張ってやっているのに事情も聞かずに一方的に怒られたら、スタッフは何も言えないじゃないですか!』

 

結局それが決定打となり、店長が突発的に退職してしまったのです。

 

 

そうして私は正月休みを返上して、すぐに店頭にヘルプへ向かいました。店長代理としてセールの準備をし、年始のセール期間中は販売応援を一日中しながら合間を見つけては担当店舗と連絡を取ります。

 

 

会社が始まる前日である日曜の、飛行機が飛ぶギリギリの時間まで現場業務を行い、飛行機では通信もできないので数字をまとめることも出来ません。

 

そんな事情は部長にも話してあり、『仕方がない、出来ることを現場でやってくれればいい。事情は月曜の会議で俺から話してやるから。』と言ってくれていました。

 

終電で帰宅しましたが、疲れきっている上に時間も足りず、結局通常よりも多い情報を全店舗分まとめることができないまま、月曜の営業会議を迎えます。

 

 

そこでたどたどしく各店舗の発表をしている私に、その営業部長が私に掛けた言葉が

 

『全然まとまってないやんけ!お前なにやっとんねん!』でした。

 

もう怒りを通り越えて、『ああ辞めよう』としか考えていなかったような気がします。

 

 

サラリーマンでも人は人

 

なんだか挫折というよりも愚痴のようになってしまいましたが、以上が私が味わった挫折の数々でした。

 

ただ、こんな愚痴のような視点で書かれたものでも、私の未熟さをひしひしと感じて頂けたと思います。

 

実際の経歴としては、この後にまたサラリーマンを3社で勤めています。そこでもまた多くの失敗を経験しましたが、この当時よりは上手に立ち回れるようになりました。

 

結局のところ、私という人間は権力に弱くてサラリーマンに向いてないなというのが現時点での結論です。

 

なんというか、「その立場でやるべきこと」みたいな理想的な思い込みがいつまで経っても抜けないので、出世すると疲れちゃうんですよ。

 

サラリーマンでも人は人。

 

そんな風に自然に振る舞えるようになったら、またサラリーマンをやるかもしれません。

 

最後までお読みいただき有難うございました。

 

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